私が「経営コンサルタント」になった理由

私は、1964年(昭和39年)9月30日午前2時42分にこの世に生をうけました。

ごく普通の家庭で生まれ育ち、義務教育・高校・大学と進みました。

就職活動で、自分が何の職業に合っているのかわからず、また特別「これをしたい」という事もなく、多くの方々と同じように普通のサラリーマンを選びました。

特に不満のないサラリーマン生活でしたが、自分を含め多くの人々を見ているうちに次の3点に気付かされました。

@働くことによって「輝く人」と「そうでない人」がいること。

A何事も「上手くいく人」と「そうでない人」がいること。

B会社には「活気のある職場」と「そうでない職場」があること。

私は、「人々がいきいき(活き活き)するにはどうすれば良いか」「生き方には(うまく生きるための)原理原則や基本があるのではないか」と考えるようになりました。

その後、私は会社に関わる人々とその会社自体が「いきいきする」ためのお手伝いができる職業は何かを2ヶ月間徹底的に考えました。

その結論が「経営コンサルタント」だったのです。今から約17年前の1991年2月下旬のことです。

「企業観」と「企業使命感」

1991年2月下旬、私は何もできない26歳でしたが「人と会社が幸せになるような支援をする存在になろう」と心に決めておりました。また「会社とは、社員や家族を幸せにし、仕事を通じてお客様や取引先のお役に立ち、地域や社会に直接・間接的に貢献するために存在すべきものだ」と少し生意気な「企業観」を持っておりました。

私は、1991年4月に縁があって中堅規模のある経営コンサルタント会社へ入社しました。

その新人研修で「人は、食うために生きるのではない。生きるために食うのだ。従って、生きる目的を明確にしなければならない。すなわち、使命感を持たなければならない!」と当時の社長の講話を聴いた時に「自分は、生きる目的が明確でなかった。」と物凄い衝撃を受け、同時に涙が出てきました。

(後で分かりましたが、これは第三の涙である「気付きの涙」だったのです)

私は、「人と会社が幸せになるような支援をする存在になろう」と心に決めていましたので、「ヒューマン・サポーター」という自分なりの「使命感」を確立しました。1991年4月4日のことです。

ヒューマンとは法人及び個人を指し、その個性・能力・可能性・意識及びシステムを支援する者という意味でサポーターとしました。

その後、1993年にJリーグが発足し、今では「サポーター」という言葉が定着しましたが、使命感を確立した時点では、「サポーター」とはひざやひじに巻きつけるものが一般的なイメージでした。

「勘違いされるかな?」とも思い「支援する」を和英辞書で色々調べてみました。「サポート」の他に「アシスト」「バックアップ」「ヘルプ」などの言葉がありましたが、ニュアンスとしては「サポート」がベストだったのです。

「ヒューマン・サポーター」は私自身の「使命感」でしたが、個人事務所及び法人設立時にもそのまま「企業使命感」として引き継いでいます。

「企業観」の内容もレベルアップしていますが、基本的な考え方は同じです。

「社名の由来」

「ヒューマン・サポーター」として、「個人及び法人の個性・能力・可能性・意識及びシステムを支援する」という使命に取り組むことが、それぞれの人生・会社・地域・世界・地球の「笑顔と輝きを創る」ことにつながり、お役に立つと考えています。

「笑顔と輝き」とは、「それぞれがいきいきすることであり、目的意識を持って役割を全うすることであり、よりよい幸福を感じる」ということで「スパーク」している状態として「株式会社 ヒューマン・スパーク」という社名にしました。